きれいなものには何かがある

 


 先日、新潟の友だちを訪問したとき、なにかのきっかけで京都の話になり、彼女が昔の思い出話をした。なんでも、三十三間堂で見かけたお坊さんがとてもきれいだったというのだ。その姿もさることながら、ろうそくに字を書いている姿全体がとても美しく、心うたれて見とれてしまったのだと。


「形だけではなく、その生き方や精神そのものが具現化したような美だった。そういうものを見ると、私はそこに強く何かを感じるらしいの」


 彼女が言いたかったことが何なのか、私にはちゃんと理解できていないのかもしれないけれど、おそらく彼女は、お坊さんの佇まいの中にそれまでの彼の人生と精神を見て、その中に「美」を見いだしたのだろう。


 その数日後、ある知人が私にこういう話をした。


 「ある本を読んでいて、それがとてもいい内容でとても面白かったのだけれど、そのあとで何度読み返しても、どこかひっかかって、うまく入ってこない。それがとても不思議だったんだけど、最近はこう思うようになってきた。この人の文章は本物ではなく、どこかウソがあるのだろうと」


 ひっかかりがあるというのは、つまり「リズムがない」ということ。さらに意訳すると、その文章が「美しくない」ということ。彼は、その本のリズムの崩れから、そこに「真実がない」と感じたのだ。


 彼からこの話を聞いて、私は昔父が言った言葉を思い出した。


 「いいか、真実はいつもシンプルで、美しい。この先、真花がなにかに迷うことがあったら、シンプルで美しいほうを選ぶといい。そこに答えがある」


 当時の私はまだ小さすぎて、父の言葉が意味するものを何も理解できなかったけれど、今なら少しはわかる気がする、友だちの言葉、知人の言葉、そして父の言葉。この3人の言葉には、共通点がある。それはつまり、「美の中に真実がある」、あるいは「真実の中に美がある」ということだ。


 実は最近、あまり周囲の状況が芳しくない。仕事がらみで小さなトラブルが頻発し、私はそれに振り回されることが多く、なかなか思うように進まないのだ。しかしこんなときだからこそ、彼らの言葉をひとつの礎にしながら、正しい答えに少しでも近づいていきたい。迷ったときは、シンプルで美しく見える方に向かって歩いていこう。そうすれば、きっとすぐにトンネルから抜けることができるだろう。

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