息子の結婚

 昨日、息子の婚姻届に判を押してきた。27日に提出するそうな。なぜその日にしたかと聞くと「大安だから」とのこと。ゲンを担ぐタイプではないと思っていたけど、そうでもないらしい。

 今の部屋はあまりにも狭いので、近く引っ越しをするとのこと。今、新居を探しているらしい。式については、来年頃やる予定だという。最近は、そういうこともわりと自由になっているようだ。やってもいいし、やらなくてもいいし、いつやってもいい。いい時代になったものだ。

 さて、息子が結婚する。やがて、子供も生まれるだろう。確実にめでたいことだし、間違いなく嬉しいことでもあるのだけれど、じつは正直、少し寂しくもある。

 それは決して、子供が離れていくからではない。むしろ、これまでまったく浮いた話のなかった彼をずっと心配していたので、それについてはほっとした気持ちのほうが強い。このままだと彼は一生独身なのではないかと、本当に心配していたのだ。彼がよいパートナーに恵まれたことを、心から喜び、そして心からほっとしている。あとは、パートナーから捨てられないようにと祈るばかりだ。

 では、この寂しさはなんだろうと考えたとき、これに似た気持ちを味わったことが、過去にもあったことを思い出した。子供を生んだときだ。生まれた赤ん坊を見て、私は喜びと共に、少し寂しさを感じた。これから私は、この子供を育てるために生きるのだ。もう私は、扶養される側ではなく、扶養する側の人間になるのだ。そう思ったとき、胸の奥がちくっと痛んだ。それはきっと、それまで思い切り青春を謳歌していた自分(学生結婚だった)に対する惜別の念だったのだろう。

 そして今、さらに新しいステージに移行する。今度は彼が、かつての私のように、扶養される側から扶養する側になる。そしてわたしは、扶養する人ではなく、見守る人になる。この後続いていくだろう命のリレーを、じっと見つめる人になる。そう思うと、またあのときのように、一抹の寂しさを感じるのだ。こうして私は、どんどん現役ではなくなっていく。そのことに、ちょっとだけ切なさを感じるのだ。

 きっと私が結婚するときも、私の親は同じことを感じただろう。結婚も出産も嬉しいことに違いないのに、時々ちょっと寂しい顔をしていたのは、きっとこういう気持ちだったからだ。

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