毎日、死んでいるのです

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小さい頃から、ずっと死を意識していた。死んだらどうなるんだろう。冷たい土の中に身を横たえて、その上をいろんな人が歩いていく。私がここで死んでいるのに、誰も気づかずに通り過ぎていく。そして時間が過ぎていく。そんな情景を思って、よく1人で泣いた。

昨年見た映画「西の魔女が死んだ」に、それとよく似たシーンがあった。主人公の「まい」が、おばあちゃんの隣に寝て、泣きながら「死んだらどうなるの?」と質問をするシーンだ。そのとき、隣の席で同じ映画を見ている母の顔を見ると、ハンカチで目を押さえていた。もしかすると、母も同じことを思って泣いた子供時代があったのかもしれない。

ところで、今の私はあまり死を怖がってはいない。もちろん、今すぐあちらに逝ってしまうのは嫌だけど、いつか時がきて自分が死んでいくことを想像しても、そんなに悲しい気持ちにはならない。それは、いろんな本を読んだり、それこそ映画を見たりして、じっくり考えてきた結果なのだけれど、それを一言で言い表すとしたら(言い表せないと知りつつも)、それは「毎日、死んでいる」からなのだ。

そう、私は毎日、死んでいる。そして、毎日生まれている。昨日と同じ私は、もうここにはいない。昨年の私も、もういない。学生時代の私も、子供時代の私も、赤ちゃんだった私も、もういない。

信じられない人は、ちょっと想像してみてほしい。10年前、20年前のあなた自身と出会ったとして、あなたはその相手を「これは自分だ」と思うだろうか。考え方も、話し方も、嗜好も、なにもかも違っているその相手を、「まぎれもなくわたし」だと言えるだろうか。私は、とてもそうは思えない。あれはもう、別の人間だ。つまり、彼女たちはもう死んでしまったのだ。

死はひとつの変化であり、日常である。このことを考えていくと、こういう結論になる。私がある日、事故や病気で亡くなってしまうことになったとしても、それもひとつの変化にすぎない。昔の私が今の私に変化したように、生きている私から死んでいる私へと変化しただけだ。これは、決して有から無になったということではない。ただ、形が変わってしまっただけなのだ。形が変わった私が、その後どうなるか…それは、「実は、まだ死んだことがないので、わかりません」(西の魔女が死んだ)。

こんな風に考えるようになって以来、死は恐ろしいものではなくなった。しかも、嬉しいことに、過去の自分にとらわれる必要がなくなった。過去の自分がこうだったから、今の自分はこうあるべきだ…なんてことも、考えなくてよくなった。だって、昔の自分はもういないんだからね。今日の私は生まれたてのピカピカで、なんだってここから始めていいのだから。

過去を悔いることなかれ。過去の責任を負うことなかれ。ありがたいことに、私たちは毎日生まれ変わっているのだから。これまで引きずってきた重いものを脱ぎ捨てて、身軽になって走り出したって、それを批判する人はどこにもいない。昔の自分のこだわりが、今の自分を生きにくくしていたとしたら、そんな馬鹿らしいことはない。なにも、昔の自分に義理立てする必要はない。いつだって、新しい人生をフレッシュな気持ちで楽しめばいいのだ。

 

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