母の過去をネットで見つける

 自分のルーツを調べようと、母に電話して私が生まれた病院の名前を聞いたところ、「大島鉱業所病院」だという。それをネットで調べていたら、この病院の本当の名前は「大島蛤診療所」ということが判明。よく調べてみると、廃墟マニアの聖地だったようだ。

 さらに調べてみたところ、どうやらここは結核患者の隔離病棟だったらしい。そこで再度、母に電話して話を聞いてみた。「大島蛤診療所は、真花の生まれた病院じゃなか。そこは、私が結核のときに入院していた病院たい」。わたしが生まれた病院は、もう少し離れたところにあったとのこと。ともあれ、この蛤病院が母の思い出の場所であることは間違いない。今はもう取り壊されて残っていないらしいが、幸いネット上に何枚か写真があったので、母に写メールしたところ、いたく感激していた。

 「インターネットはすごかね。こがんことまでわかるとね」

 そう、インターネットはすごいのだ。母の記憶の中にさえうっすらとしか残っていなかった建物のことがすぐに調べられて、さらに写真ではっきりとその姿が蘇るのだから。写真をみた母は、「来年の夏、近くまでいくから、そのときに病院の跡地を見て来たい」といった。

 

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