This is it

 マイケル・ジャクソンのドキュメント映画、「This is it」を観た。

 当初は、この映画を観るつもりはなかった。マイケルが死んでしまったということを再度認識したくなかったからだ。しかしTwitterの発言をみると、この映画を観た人はみんな「よかった!」と褒めちぎっている。友だちと観に行った娘も「もう一度みたい!」と大変興奮している。そんなによいのだろうか。やっぱり観るべきなのだろうか…。悩んでいたら、「上映が二週間延長になった」というニュースが流れた。念のためにと上映映画観を調べてみると、お気に入りの豊洲ワーナーでやっている。もしかして…と予約席を調べたら、そこそこいい席が空いていた。これはもう、行かねばなるまい。観念して、私は重い腰を上げた。

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 映画の冒頭で、まず起用されたダンサーたちのトークが流れた。どのダンサーも興奮していて、中には泣いて言葉にならない人もいた。最後のダンサーは、こう語った。「いまの世の中、つらいことが多いだろ? 生き甲斐はなにかって、ずっと探していた。それこそが、これだったんだ(This is it)」。

 そして、さりげなくマイケルが現れる。歌いながら、軽やかにステップを踏む。リハーサルだから、全部歌うわけじゃない。歌うというより、軽く口ずさんでいるような声。しかしその声が、まさにマイケル。美しく、優しい声だ。自然なステップも、まるで重力を感じさせないスムーズな動き。これこそ、マイケルのダンスだ。リハーサルだから、全力じゃない。それだけに、「力を抜いてもこれほどすごいのか」と、改めて彼の実力を思い知らされる。

 そう、彼がステージで踊り歌う姿は、全盛期だった20数年前となんら変わっていなかった。年をとって体力が落ち、それをどうにかトレーニングで回復させ、なんとか前と同じように踊れるようになった…なんてものでは、決してなかった。まるで20数年のギャップを感じさせない。彼を観ていると、1980年代がまるで昨日のことのようだ。

 リハーサルでマイケルがスタッフに指示を出す内容は、どれもこれも「間」に関するものだった。彼は「間」をとても大事にしていた。動きを止める、速度を落とす、音を消す…そうして出来た「間」が、いかに観客の関心を惹くかということを、彼はよく知っていたからだ。それもまた、彼のセンスなのだろう。そういえば、彼のダンスにもよく「間」がある。

 その人となりは、素直で純粋な少年。大人になっても少年で居続けられたという意味では、たしかに世間の人がいうように「モンスター」だったのかもしれない。しかし、おそらく歴史に残るアーティストは、多かれ少なかれ彼のような一面を持っていたはずだ。だからこそ、人を感動させる作品が作れるのかもしれない。となれば、それも才能の一片。そんな彼を「変人」と扱い、笑い者にしたマスコミに対して、私は改めて憎しみを感じた。

 見終わった後、私は「マイケルの人生は、これでよかったのだ」と思った。マイケルは、長い間、表舞台に立たなかった。しかし、最後にもう一度やってみようと思い、表舞台に立つと宣言し、きっちりステージを作り上げた。だからこそ、こうしてドキュメンタリー映画が仕上がり、人々はそれを観て本当のマイケルの実力を知ることができた。もし、何もせずにそのまま亡くなっていたら、どれほど彼が素晴らしくても、歴史には残らなかっただろう。

 帰り道、私はマイケルの最期を思った。その日、彼はおそらくリハーサルを終えて、「あともう少しで本番だ。よし、頑張ろう!」と思いながらベッドに入っただろう。そして、本番のライブを夢見ながら、ゆっくりと旅立っていったのだろう。そのとき彼は、多くのスタッフに支えられ、愛されて、充実感に満たされていたはずだから、きっと幸せな最期だったに違いない。彼が死亡したというニュースを聞いたとき、ずいぶん胸を痛めたが、この映画を観て「いや、彼は不幸ではなかったのだ」と思えたことが、私にとっては一番の救いだった。

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