「自由に生きる」の解釈はいろいろあると思うが、わたしはこの人のこの解釈が、最近だといちばんピンときている。
あるテーマを中心に行動するようになると、自分がそのテーマに興味があるから行動しているのか、それとも自分の看板だから行動しているのか、わからなくなる。それはもはや純粋ではない。
「私はこういうことをして生きています」「こういうテーマで情報発信しています」というものができてしまうと、それを根幹に人生の物語が語られるようになってしまう。
物語に対する欲求は一つの中毒である。僕はいかなる物語からも逃れたい。物語から逃れつつも、死ぬのではなく、なおかつ生きてゆきたい。これが自分の生活のテーマだと思う。
自由に生きているつもりでも、自分が考えた物語に縛られて、結局不自由に生きている人は多いと思う。私も、そのうちの一人。そこから脱却するのは難しいが、やってみたい。