「CLIEをPDAと呼ぶな」コンバージド・デバイスの先がけソニーVZ90とは

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CLIEの販売中止が発表された日のことを、今でも覚えています。「ああ、これで日本からPalmの灯が消えた……」と肩を落とした、あの日のことを。HP200LXの生産中止報道のときも衝撃を受けましたが、CLIEのときはそれとはまた違っていました。単なるひとつの製品(ブランド)が消えるというより、「これで日本のPDAは終わった」というような、そんな気持ちになりました。

なぜCLIE(=PDA)はなくなってしまったのだろうか。それからしばらく、私はそのことばかり考えていました。そして、自分のなかでひとつ区切りをつけるため、BCNで記事を書かせてもらいました。その記事のタイトルは、以下の通り。もしご興味ありましたら、リンク先から元記事をお読みください。

ソニー、PDA撤退を決定、名機CLIEが辿った「本家なき個性派」の悲劇 - BCN+R

この記事のなかで私は、ソニーがCLIEを手放した要因について、以下のように分析していました。

 主流がなければ、アンチ主流の個性も際立たない。「NZ90」や「VZ90」のように先進的な製品を発信しながら、一方では「TJ25」や「TH55」のようにメインストリーム的な製品をも提供しなければならなくなったところに、ソニーの苦悩があったといえる。

しかし、本当にそうだったんだろうか。そのことをどうしても確かめたくて、当時VZ90の開発を担当していた後藤さんにアプローチしてみました。「PDA博物館で、あのときのことを話してもらえませんか?」。

後藤さんと初めてお会いしたのは、まさに最後のCLIE「PEG-VZ90」が発表されたときでしたから、なんと15年ぶり。久しぶりにお会いした後藤さんは当時のまま。まるで今、市場で発売されている製品のことを語るがごとく、PEG-VZ90の魅力について熱く話してくださいました。

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結論からいうと、私の分析とは違ったお話になりましたが、当時現場にいた後藤さんの話は非常に興味深く、個人的に深く納得できたお話でした。当時をご存知の人も、そうでない人も、ぜひ一度ご一読ください。製品開発の裏にあるストーリーの面白さ、きっとわかっていただけると思うんです。

ところで、ソニーシティの一階に、こんな年表のような展示があるのはご存知ですか?

タイムラインに従って、ソニーが開発したさまざまな製品が並べてあり、ウォークマンやプレステなどあますところなく展示されているのですが、なぜかこのあたりにあるはずのCLIEが存在していません。

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