No.0025 イカ天で一世を風靡したカブキロックスの坂川正美(美女丸)が当時を振り返る

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30年前、テレビで「イカすバンド天国」という番組を見ていたら、見覚えのある人が! 仮イカ天キングとなった「カブキロックス」のギタリスト、坂川美女丸さんです。彼は、大学時代に同じサークルで親しくしていた友人で、当時から突出したキャラクターとギタープレイで有名でした。いつかミュージシャンとして名をあげるだろうとは思っていましたが、まさか白塗り&着物で登場するとは……。今回は、一夜にして超有名人になったときの体験談を話していただきました。

井上 坂川くんはもともとヒステリック・グラマー(以下、略してヒスグラ)のギタリストだったのよね。

坂川 そう。実は僕、イカ天に二度出ているんだよ。一度目はヒスグラで、その半年後にカブキロックス。ヒスグラでも初期の頃は白塗りして演奏したりしていたんだよ。

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当時のヒスグラの写真。左端が坂川さん

坂川 ヒスグラでイカ天に出た頃、氏神一番がテレビでイカ天を見て「いいな、僕も出たいな」と。彼は当時、自分のバンドで白塗りしてジュリーの「TOKIO」をやっていたの。他のメンバーは黒子みたいな衣装でね。そのバンドでイカ天に出ようとしたんだけど、ほかのメンバーが「うん」と言わない。そこで、僕らが「じゃあその時だけ昔の白塗りに戻して一緒にやるか」みたいな軽いノリでやったら、めちゃ受けてしまって。

井上 ということは、あの「カブキロックス」は一度きりのはずだった?

坂川 うん。ところが仮イカ天キングになって、周囲が盛り上がってしまったものだから、やめられなくなった。実際、ライブやったときの客の数が桁違いで、僕らもびっくりした。みんな、こんな結果は予想外だったんだよ。

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デビュー当時のカブキ・ロックス

 

井上 突然売れるって、当人的にはどんな感じなの?

坂川 毎日がお祭りみたいだった。カブキロックスでイカ天に出たのが1989年10月で、1990年1月にはTBSの顔になった。すごいスピードだよね。成人の日に放送された『NHK青春メッセージ’90』へのゲスト出演を含め、今の天皇陛下の前で二回も演奏したんだよ。デビューしたのが1990年4月だから、陛下の前で演奏したときはアマチュアだったんだよね。そんな例は、ほかにないらしい。年末から年始にかけて、毎日スケジュールがぎっしり。当時は事務所に入っていなかったから、イベントでもらったギャラは全部メンバーで山分け。その頃が一番稼いでいたかも。そのあと事務所に入ったら、急に給料が13万円になった。

井上 たったの13万円? それじゃ暮らせないよね?

坂川 それがそうでもなくて、毎日の生活には、ほとんどお金いらないからね。交通費やホテル代、食事代や楽器、衣装など、全部事務所が出してくれるし。結局、毎日忙しいから、お金があっても使う暇ないしね。その上、それまでバイトして暮らしていたから、バイトしなくても音楽だけで生活できるってだけで満足って。

とくにありがたかったのは楽器ね。ESPというメーカーとギターのモニター契約を結んでいたんだけど、ふらっとお店に行って、店にあるギターを試し弾きしていたら、「好きなの持って行っていいですよ」って言われるの。20〜30万円のギターだよ。そんなこと、今はないだろうけど。当時はまだいい時代だったってことだね。

僕らは、というか僕は、別にお金持ちになりたかった訳じゃない。どちらかといえば、有名になりたかった。そして、多くの人に僕のギターや音楽を聴いてもらいたかった。その夢は両方かなったわけで、不満を感じるはずがない。でも今から思えば、事務所には数億の金が入るんだから、その程度で喜んでいる僕らってかわいいものだよね。音楽のことならわかるけど、ビジネスのことは当時はまったくと言っていいほどわかってなかった。

井上 でも、そんな生活は長く続かない、と。

坂川 そうだね。1991年にはそんなお祭り騒ぎみたいな生活は終わって、人気も一段落。正気に戻り、やっと地に足がついた感じ。とはいえ、バンドとしては人気が落ちてきたから、今後どうする?という話になり、結局事務所も離れ、活動休止みたいな状態に。

井上 活動休止するとき、がっかりした?

坂川 いや、そうでもなかった。ここから自分の音楽がやれる!と思ったね。時間的な余裕ができたし、幸いネームバリューもある。やりたいことをやれる環境が整ったと思ったよ。今でも覚えているんだけど、バンドが事務所を離れるとき、氏神一番がマネージャーに「坂川だけは本物だから」といったそうで、それを人づてに聞いたときは嬉しかったな。

井上 それ、どういうこと?

坂川 つまり、僕だけはなにがあっても音楽を続けるだろうって。バンドの他のメンバーは、人気が出たからカブキロックスを続けていた。売れなくなったら、別の事をやるかもしれないし、もしかしてそれは音楽とはまったく関係のない仕事かもしれない。でも僕だけは、なにがあってもギターを手放さないだろうと。なにかの目的や手段として音楽をやっていたわけじゃなく、僕はどこにいても、いつでもギターを弾いている。そのことを氏神は「坂川だけは(他のメンバーと)スタンスが違う」と感じていたのかもしれない。

井上 確かに、坂川くんはそうかもしれない。そこは、昔から変わらないよね。そういえば、人間椅子とのコラボ「かぶきいす」もやったことがあったよね。

坂川 人間椅子は、今も基本的なコンセプトはそのままに頑張っていて、それが世間からも認められつつあるよね。昔から知っているから感無量だよ。昔、渋谷公会堂でやったコンサートを見に行ったけど、そのとき、会場にはたくさんの人が入っていて、みんなすごく盛り上がっていた。演奏が終わってもみんな帰らず、「アンコール!」って手拍子するんだけど、僕はヒヤヒヤしていたよ。

井上 なんで?

坂川 だって、当時の和嶋の家って風呂なしの四畳半一間のアパートだったんだよ。アンコールに応えていたら、風呂屋が閉まっちゃう(笑)。あんなに汗かいているのに、和嶋くん、風呂入れなくなるよーって(笑)。実際、そういうものなんだよ。ステージの上に立っている人は「すごい人」ってみんな思うかもしれないけど、あのときの和嶋は会場にいた誰よりも一番貧乏だったからね(笑)。

井上 そんなになっても音楽を続けていくってすごいことだね。坂川くんは、まだまだギタリスト続けるんでしょう?

坂川 そうだね。僕はどうせどこにいってもギターしか弾かないんだから(笑)。とはいえ、そろそろ体力が心配になってくる頃だから、体には気を使っているよ。昔はロックミュージシャンなんて病んでてなんぼみたいなところもあったけど、ステージに立ってプレイできる体力は、保持しておかなければって思う。可能な限り、やり続けたいね。幸い、ミュージシャンには定年がないから、やろうと思えば一生続けられる。

井上 今後やりたいことはある?

坂川 カブキロックスは来年デビュー30周年で、さっきも言ったようにその全てが濃密じゃなくて薄い部分もあったわけだけど、やっぱりけじめとしてはまずはそこを決めたいね。ソロ活動の方も、まだ形にしたい曲やアイデアはたくさんあるし、その二つが相乗的に盛り上がっていけば良いね。

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現在のカブキ・ロックス

坂川 もっと先の話しなら、僕は自然の中にいること、特に山が好きなんだよ。ギタリストやってなかったら、木こりになりたかったぐらい。だからいつか山あいの田舎にでも移り住んで、その場所に似合う音楽がやれたら最高だな。

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