水城さんの「見守りフェス」が「旅立ちフェス」に

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これまでの人生の中で強くシンパシーを感じる人が3人いて、その1人が水城ゆうさん。同じ時期に同じようなことを考えていたり、同じものを欲しがっていたり。ずっと、まるでもう1人の自分を見ているようだった。

だから、水城さんがガンになったと聞いたとき、いても立ってもいられなくてすぐに会いに行った。もう1人の私は、どんな風にガンを受け止めるのか知りたかったのだ。

水城さんと話をした後、私は時間が許す限り水城さんのそばにいて、その様子を見ていようと決めた。水城さんが企画するプロジェクトやイベントにどんどん参加し、彼が考えていることをつぶさに見てやろう。

それから1年ちょっと。私はオンライン上で、多いときは週4日、彼に会った。その間の水城さんの活動は、私の想像を遙かに超えていた。身体はとても痩せていたけれど、言葉は強かった。

一番驚いたのは、7月17日にホスピスを退院した後の言葉。久しぶりにZoomで見た彼は、「みなさんにお会いできて嬉しい。今日はまだちょっとバタバタしているけど、これから少しずつ復帰していくから待っていて」と言った。彼は、まだやる気十分だった。

それから1ヶ月。ピアノを弾き、連載小説(!)を書き、絵を描いた。新しい音楽表現を試してみたくなり、MacBookも新調した。やれることは、全力でやる。その気持ちに、いささかの陰りもなかった。

しかし、身体は目に見えて衰弱していった。ピアノが弾けなくなり、クリアな意識を保つことが難しくなっていった。このあと、どうなるのかな?と見ていたら、さらにすごいことが起きていた。有志による、春野亭での「見守りフェス」である。

春野亭には常に複数の人がいて、誰かが食事を運び、誰かが食器を洗い、誰かが洗濯をしている。水城さんの周りに集い、水城さんの言葉を聞いて笑ったり「なるほど」と頷いたりしている。そして、水城さんのそばで見守りに集中している万里さん。輪の中心には水城さんがいて、静かに命の炎を燃やしている。

その光景を思い浮かべても、悲壮感がない。水城さんにも、その周りの人にも、悲しみや苦しみが見えてこない。むしろ静かで、おだやかで、特別な時間を共有できる喜びに満ちているように思える。

そんな風に死に向かっていく人&死を見守る人たちを、私はこれまで見たことがなかった。だから、まるで奇跡のように思えた。なぜ水城さんの今の状況は、これほど明るく優しく見えるのか? 8月12日夜、そんなことを思いながら眠りについた。

8月13日未明、目が覚めきる前に言葉が降りてきた。

「マインドフルだから、死に向かう時間が穏やかなんだ」

そうか、そうか。確かに、そうだ。とても腑に落ちた。

春野亭のみなさんは、過去を思い出して「あの水城さんはもういない……」と嘆くことも、未来を思って「水城さんがいなくなったらどうしよう……」と不安になることもなく「ただ今」の水城さんを見て、行動している。だから、悲しみや苦しみに心奪われることなく、ずっと今に集中することができるんだ。

なんだ、そういうことか。水城さんがずっとやっていたことが周囲に伝わり、最後にこういう形で結実していく。たったそれだけのことなんだ。

すっかり腑に落ちたせいか、8月15日に友人から「水城さんが亡くなった」という知らせを受けても、不思議なほど喪失感がなかった。「あ、そうなのね。水城さん、次の場所ではなにをするのかな?」……そんな感じ。この感覚は今も残っている。水城さんは、いなくなっていない。それどころか、存在感を増している。

できればこれからの水城さんも見ていたいけど、それはちょっと難しいかな。なんといっても、生活圏が違いすぎる。でも、そんなのはたいした問題じゃない。きっと彼のほうから「みかちゃん、今ね、こんなことをやっているんだよ」とニコニコ話してくれるはずだから。

今夜の「旅立ちフェス」でも、きっと何かが起きるだろう。これからの彼の活動を、とても楽しみにしている。

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