友人に勧められて読んだ本。まずは著者である池見陽さんのプロフィール。
1957年兵庫県生まれ。幼稚園から高校を卒業するまで神戸の国際学校、マリスト学園で学ぶ。ボストン大学文学部卒業。シカゴ大学大学院修士課程修了。北九州市立医療センター臨床心理士、産業医科大学助手、講師を経て、現在、岡山大学教育学部助教授(臨床心理学講座)。臨床心理士、医学博士。
次に、Amazonの紹介文から「実感」という言葉の定義について。
自己の解放は内なる「実感」を感じとることから始まる。重く停滞した心を開くフォーカシングの技法を、心理臨床の現場から解説。
カウンセリングと実感――「気持ち」という場合、悲しい、寂しい、嬉しい、など特定の内容をもった感情を指すが、「実感」はそれらよりも複雑で漠然とした、実際に感じられる体験という意味で用いる。たとえば、悲しい「気持ち」といっても、実際に「実感」してみると、そこには悲しきの「質」とか「色」のように、状況によって微妙にことなるトーンがあることがわかるだろう。それを表現してみるとすると、それはおそらく「悲しいような、暗い、重たい……何とも表現しにくい雨音が胸に染み込むようなじーんとした感じ」という具合に複雑で、簡単に「悲しみ」という一言では表現しにくい性質であることがわかるだろう。このような体験をここでは「実感」と表現しておく。――本書より
以下、例のごとく読書メモ。
●心身医学の心理療法
- 「心身医学」とは、ストレス性の身体の病気を言い表す「心身症」を克服するための研究
- 「失感性症(感情を言語化しない)」と「失体感症(身体感覚が鈍感になる)」の人は、自分の経験を他人事のように話す
- これらの症状は、生活習慣の結果起きている?→新しい治療モデルが必要!
- 東洋的な瞑想法(ヨガ、坐禅、気功など)が有効?
●心の実感
- ロジャースが提案したのは「判断停止」という視点。専門知識が邪魔をしてクライアントの声と向き合えない。聴くことに専念しよう。そこで重点を置くべきは「実感」や「気持ち」
- 不適応、神経症や悩みなどの問題の背景には「実感」と「自己概念」の不一致があると想定。実感と自己概念の不一致が生じると、実感は否定されたり歪曲されたりする
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- 心の実感が抹殺される恐れがある→実感を引き戻す→実感を正確に見つめると知恵が開放される→自己発見は気持ちいい、リラックスできる→成長する
- 一般論に逃がさず、実感から個別を見る。なぐさめたり、アドバイスしたりしない
●カウンセリング・マインド
- 治療に必要なのは「一致」。まずはセラピスト自身が一致すること(EX クライアントの言葉が入ってこない、身近に感じられないときは率直にそう伝える)
- 共感的理解。クライアントの行動には必ず理由がある。その理由を理解し、共感する。
- 無条件の受容。「あなたは何を言ってもいいし、何をしてもいい。あなたが本当にあなた自身であるならば」
●カール・ロジャースという存在
- ロジャースの前に座ると、ロジャースのプレゼンス(存在)によってざわついた波が収まってくる→エックハルト・トールの「今にある」と同じ?
●クライアントの個性
- 実感の促しを受け入れないタイプ……すでに結論が決まっている「彼はずるいんです!」他の意見を取り入れない。新しい視点が閉ざされている=外界指向
- 実感の促しを受け入れるタイプ……すでに結論が決まっているが、促しを聞き入れる余地がある。質問すると、沈黙が増える。
●フォーカシング(自分に対して)
- ご機嫌いかが?と挨拶する
- 最近どう?と問いかける
- 気がかりなことがあれば、それに共感する(否定しない)=ジャッカル?
- その雰囲気を探る(身体の感じ)=気持ちとニーズ?
- その感じをどこかに置く=スペースを空ける?エネルギー変換ボックス?
- ホッとする→2に戻る
●フェルト・センス(=実感)を探る
- フォーカシングをしていると「どこかにおけないもの」が見つかる
- フェルト・センスをたぐり寄せる(ゴアゴアした感じ、暗い等)
- そのセンスに見出しをつける(NVCの「気持ち」や「ニーズ」の表と近い?)
- 「あ!わかった!」と感じる→フェルト・シフトが起き、消えていく
●傾聴
- 自分や相手の不安や憂鬱は解消する必要がない。それはそこにあっていい。ただ一緒にいる時間を作る
- 話につきあう、傾聴する、見守る
- 本人の思考を促す質問をする(オープンリード)
- 話し始めたら、ついていく(リフレクション=言い返し)
- 脱線しかけたら、本線に戻す