初心者向け俳句講座を受講した

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母は短歌を詠む人だった。たとえば、こんな歌。

菜園のわずかなレタスはひよどりと夫とわたしの朝餉のサラダ

母が亡くなった後、父が自費出版で歌集を出した。それを読むたび、私もやってみたいと思ったが、作ってみたいのは短歌ではなく俳句だった。父は「短歌と俳句は全く違う」と言っていた。短歌は情感たっぷりに謳い上げるが、俳句はストイックに情景だけを描く。読み手は、そのなかに作者の思いを読み取る。そういうものだと言っていた。

俳句を作ってみたいと思いながら、毎週「プレバト!」を見てああだこうだ言っていた。私だったらこうするとか、これはちょっと違うんじゃないかとか。批評はできても、一句も作れない。このまま終わってしまうのかと半分諦めかけていた。

そんなとき、好きな俳人のひとりである如月サラさんが「初心者向け俳句講座」をやるというので、すぐさま申し込んだ。如月さんとは、こんな人。

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講座を受けるにあたり「歳時記」を入手してほしいと書かれていたので、アプリ版を購入。実は前に本を買っていたのだが、残念ながら引っ越しのときに処分してしまったのだ。歳時記には、季語が解説されている。今回作るのは秋の句ということで、パラパラと秋の季語を眺めていて、目に止まったのは「秋湿(あきじめり)」という言葉。歳時記の解説には「秋には雨が降り続くことも多く、部屋などが湿って感じられる。冷え冷えとして湿った感じにはやりきれないものがある」と書かれていた。今週は雨が多く、急に冷えてきたので、この季語は今の状況に合っていると感じた。

講座のなかで、サラさんは季語についてこう語った。「季語には誰でも理解できる共通の意味やイメージがある。季語の力を信じて情景を描けば、作者の意図は読み手に伝わる」。季語を含めた17音で作る俳句は「有季定型の器」と言われるのだそうだ。言わば、スポーツのルールと同じ。「季語を入れて17音で作る」というルールがあるから、そのなかで自由に表現できる。ルールがあるのに自由だなんて、と思われるかもしれないが、それは鈴木大拙のいう「肘は外に曲がらぬ」と同じ。限られたなかでこそ、自由自在に動けるのである(と私は理解した)。

そのうえでサラさんは、秋の季語を含んだ4つの俳句について解説した。

小鳥来るはじめて話すことばかり 明隅礼子
帰り来て身の月光をふりこぼす 岡本差知子
好き嫌い好き嫌い好き葡萄食ぶ 杉田菜穂
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ 鈴木しづ子

曰く、俳句はその俳人の人生を知ることでわかることがあるという。たとえば明隅さんは、この歌を作ったときご懐妊されていたそうだ。その背景を知ると、「はじめて話すことばかり」という部分は、お腹の中の赤ちゃんに対して話しているのかなと思うことができる。「ことりくる」という音のかわいさも相まって、微笑ましい気持ちになる。

次の句の岡本さんは、明治41年生まれ。しかしこの句は、現代もその輝きが色あせない。好きな人と会って華やいだ気持ちを月光に例えたのだろうか。家に帰って身体を振ると、まるでキラキラと輝く月光がパラパラと落ちるようだと表現する。

杉田さんの句は、まるで恋占いのよう。「あの人のことなんて嫌い、でも好き」と繰り返しつつ、最後は「好き」に落ち着いて葡萄を食べる若い女性の姿が目に浮かぶ。

最後の鈴木しづ子さんは、大正8年生まれ。結婚して1年で離婚し、踊り子で身を立てつつ外人の男性と同棲。その後、その男性は戦争で亡くなり、彼女は歌集を出した後、行方不明になったという。この句を作ったのは、愛する人が戦争で亡くなったと知った後。その背景を知った上でこの句を読むと、なんとも言えない気持ちになる。

サラさんの解説で、俳句の楽しみ方が少しわかった気になった。そのあと、いよいよ自分で俳句を作るという段になる。そのやり方だが、まずここ1週間で自分が見た(体験した)ことと近い季語を選ぶ。次に、その季語を見てなぜ自分の心が動いたのか、その場面や理由を単語で書き連ねる。そのあと、季語と場面を組み合わせて俳句を作っていく。このとき気をつけなければならないのは、感情を書かないと言うこと。気持ちをそのまま書いてしまうのではなく、あくまでも情景だけを書く。あとは季語を信じて読み手に委ねる。

この説明を聞いた後、俳句を考える。とくに発表はしなかったが、そのとき私が作った句を記しておこう。

音立てて皿洗う父秋の雨

いい句かどうかはわからないが、ともあれ、これが私の初めての句である。

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