【寝太郎ブログ】いつもこの人に共感してしまう

f:id:mica:20211109163429j:plain

この人にハマって、もうどれぐらい経つだろう。思い切り落ち込んだり凹んだりしたとき、私の心の拠り所になっているのが「寝太郎」ブログだ。

mainennetaro.blog.fc2.com

私の記憶によると、彼が世間に注目されたのは、2011年に「Bライフ10万円で家を建てて生活する」という本を出版したとき。そのあと、雨後の竹の子のように、彼のような小屋暮らしを始める人が増えた。千葉の九十九里浜あたりは、そういった小屋暮らしの人がたくさん暮らしていたような気がする。あの人たちは、今、どうしているのだろう。まだ小屋暮らしを続けているのだろうか。

2011年というタイミングもあったのだろう。東日本大震災で起きた原子力発電所のトラブルがきっかけとなり、一気にオフグリッドの波が広がっていった。小屋暮らしは、究極のオフグリッドと言えなくもない。

ちなみに、コロナ禍で外出自粛が続くなか、増えているのが車で暮らす人たちだ。キャンピングカーや軽キャンで旅をしながらYouTuberとして生活している人は、驚くほどたくさん存在する。その気持ちは、私もわからなくもない。先の見えないこの時代、今を生きる手応えを求めているのではないかと思う。

久しぶりに寝太郎さんのブログにアクセスしてみたら、こんな記事を発見した。

mainennetaro.blog.fc2.com

そこにあった、この言葉。

YouTubeを見ていると、いろんなものを作ったり、嬉々として説明したり、エコやDIYで盛り上がっている動画の背後に、「人生の余裕」が映る。ああ、こういう余裕のある人たちがやることなのだ、と。僕にはない。人生の余裕なんて、これっぽっちもない。あれをやっていないとか、これをやらなければとかいうことではなく、人生は端的に、狭く、息が詰まる。自分の人生には余裕というより、呆けたような空白の時間があって、そして思い出したように不安と焦燥感に襲われる。

分かる。なんかこう、胸に迫るほどわかる。そして、そういう寝太郎さんだからこそ、今でも小屋暮らしを続けているのだし、もっと言うと「それしかできない」という結論になるのだと思う。

僕は小屋が、「生の物語」に還元しようのない人格、世間では居場所のない人格の救済の場となればいいなと思っている。しかし、小屋のようなライフスタイルにおいてすら、最終的には判で押したような物語、判で押したような人格を以てしか受け入れられないのだろう。だから、物語の欠如を伝えるためであっても、物語の仮面を被らなければならないのだと思う。

ネットの記事やSNSの投稿は、私を含め、仮面をかぶったストーリーばかり。そうでなければ伝わらないと諦めつつ、それでも、少しでも生(なま)に近い言葉を、自分の中から絞り出していきたいと願っている。

 inouemica.work © 2018. All Rights Reserved.