万博記念公園に立つベラボーな神像

5月21日に東京を出発したハイエースの旅、超スローペースで西に向けて移動し、5月26日には大阪に到着しました。夫が「太陽の塔を見て見たい」というので、万博記念公園の受付で「中に入れますか?」と聞いたところ、ちょうどタイミングよく「今なら大丈夫です」とのこと。

 

この万博が開催されたのは1970年。私は当時まだ小さかったので、万博のことはあまり覚えていません。しかし太陽の塔の中がとても怖かったことだけは、なぜか鮮明に記憶していました。本当のことを言うと、今もそのときの恐怖が残っていて、太陽の塔の中に入るのは気が進みません……が、夫が「どうしても見たい」というので、仕方なくついて行きました。

 

ドキドキしながら入り口のゲートを抜けると、そこにはあの有名な「生命の樹」が。樹の下のほうには有象無象の古代生物が広がり、そこから上に向けて少しずつ生き物が進化していきます。これだけでも十分迫力あるのに、当時は生命の木の周りにディスプレイされている生き物が動いたり、雷が鳴ったりしていたそうな。そりゃあ、小さい子は怖いに決まっています。

 

で、大人になった今ならこの樹を見ても平気かと聞かれると、正直やっぱりちょっと怖い。でもそれは、子どもの頃の「怖い」とは質が違うように感じました。今感じるのは、恐怖というより「とんでもないものを見てしまった」という畏怖の念。奈良の大仏や大谷観音を見たときに感じた感覚と近いような気がしました。

 

この畏怖の念がなんなのか知りたくて、万博記念公園の入り口近くにあるEXPO GOODS STOREで「季刊165 民俗学/特集 岡本太郎の民族学」を購入しました。本の中には、岡本太郎さんのこんな言葉があります。

 

美、美学って何だろう。この幅ひろい、そしていわば強烈に混濁した人間の生き方の中に、それはあまりにも狭い、浮いた、一人よがりの陶酔ではないか。むしろ卑小にさえ思われた。そんな色を塗ったり、形にこだわったりするよりも、もっと自分の全体、その根源の生き方、あり方について考えるべきではないのか。
(岡本 一九七一a)

 

同書によると、岡本太郎さんは万博の進歩史観、未来志向のテーマに強い違和感をもっていたそうです。

 

およそモダニズムとは違う、気取った西欧的なカッコよさや、その逆の効果を狙った日本調の気分、ともども蹴飛ばして、ボーンと、原始と現代を直結させたような、ベラボーな神像をぶっ立てた。建築家に好かれないことは最初から覚悟である。
(岡本 一九七一b)

 

この「原始と現代を直結させたような、ベラボーな神像」とは、まさに私が太陽の塔の前で感じたこと。岡本太郎さんは、その目論みを見事に昇華させ、太陽の塔を作り上げたのです。

 

人間はすべてその姿のままで宇宙にみち、無邪気に輝いているものなのだ。「太陽の塔」が両手をひろげて、無邪気に突っ立っている姿は、その象徴のつもりである。
(岡本 二〇〇〇)

 

これは私の推測ですが、岡本太郎さんは「命の根源」を感じ、それをほかの人に伝えるために太陽の塔を作ったのではないでしょうか。個々の生命体がひとつの木でつながり、その木を含めた全体がひとつの命になっていく。その(大きな)命は、太陽の内部で育まれていく。これが、岡本太郎さんが見た命の根源の有り様なのではないかと。

 

太陽の塔の内部を見るには事前予約が必要ですが、空いているときであれば当日でも見られるようです。受付で「今日は太陽の塔に入れますか?」と聞いてみて下さい。料金は、万博記念公園への入場料が大人260円、小中学生80円。さらに太陽の塔への入館料が大人720円、小中学生310円です。もし機会があれば、ぜひご覧ください。それだけの価値はあります。

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